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緘黙当事者の何でも書くブログ

「喋ることに興味がないんですね」

10年前。アメブロのほうでブログを書いていた頃の話。

 

ある日、自称元緘黙の女性の方からメッセージが届き、しばらくやり取りが続きました。

詳しい内容はもちろん忘れていますが、その方から

「優彩さんは喋ることに興味がないんだと思います」

と言われたのが未だに頭の片隅に残っていて、信じられません。

同じ緘黙の人でそんなことを言う人がいたことが信じられない💦

 

だって、緘黙って喋ることに興味がないから喋れないわけではないですよ。結果的に喋ることに興味がなくなってるってことはあるかもしれませんけど。

それは結果的に…ですからね💦

 

元々、喋ることが出来る人間で喋ることに全く興味がない人間なんて普通に考えたら居るわけないでしょう。

例えるなら少食の人に「あなたは食べることに興味がないんですね」って言ってるようなもん。

その人ももっと量を食べられるなら食べたいと思っているのかもしれないのに。

 

おそらくその方は自覚がないそういう特性をお持ちの方だったんだろうなとは思うのですが、こちら側からしたら悪意はないんだろうけど…いや、分かってるけど、それでもなんかもやもやするのでちょっと耐えられなかったです。

 

当時も「そういうこと他の緘黙の方には言わないほうがいいですよ」とはっきり注意した覚えがあります。

私よりも年上で当時で30歳越えた方だったと思うのですが…

そういう想像力がない方というのにネット上でも遭遇してしまうと単純に驚いてしまいます。

 

向こうからしたら「興味がなさそうだから興味がないと言っただけなのに何でそういう反応なの??」という感じなんでしょうけど。

こちらからしたら言葉の裏を自然に考えてしまう生き物なので自分だったら絶対そんなこと言わないし言えない…。そもそもその発想がないよって感覚なんですよね。

 

最近、ASDのことも勉強してみようと思って時間あるときにそういう動画を見たりしているんですが…

なかなか難しいです。

こちら側からしたらASD緘黙の人って正直不思議なんですけど、もしかしたらASDがある緘黙の人のほうが多数派なのかもしれない。

ASDも人によって色々だと思うので、一概には言えないですけど。

 

ASDがないであろう緘黙の人間からするとこちら側とはまた感覚が違うのかな?などと色々考えてしまいます。

 

表面的なところは客観的に見たら似てるはずなんですよ。

緘黙で人目が気になるから髪型や持ち物をなかなか変えられないとか。

そういうのも客観的には単に「こだわり」と捉えられそうですし、作文や何かの感想も人目が気になってあれこれ考えすぎたり緊張で頭真っ白になってしまって書くのが苦手なのと、それもあるけど、それがなくても家でも作文書くの苦手。自分の気持ちを言葉で表現するのが苦手。

これって傍目には同じに見えたとしても、中身は絶対違うはずなんですよ。

 

結構、この辺ごっちゃに語られてる気がしないでもない。

 

元々、ASDがある人の場合の緘黙は二次障害として緘黙が出てきてるということだと思うので、ASDがない緘黙の人とはもしかしたら同じ緘黙でも違うというか別物なのではないか?と最近考えてしまいます。

 

10年前に「喋ることに興味がないんですね」と言った人は子供の頃に緘黙でも困ることがあまりなかったとも言われていて、その辺もうーん、そういうものなのかな?私とは全然違うんだなとしか思えなかったです。

 

元々ASDがあっての緘黙の人もなぜか「緘黙」のほうで困ることが多いせいなのか?そちらのほうを語ることが多い気がするんですけど、緘黙しかないただの不安障害の人間からすると「??」のことも結構ある気がします。

 

もちろん不安を感じやすいことと緘黙の症状自体は同じなんでしょうけど、元々の脳の種類が違うだろうし、この二つのパターンを全部引っ括めて同じ緘黙として語ることに違和感があります。

 

なかなかこんなことに言及してる人誰もいないけど。

ものすごく言いにくいんだけど、違和感あるよってことだけここに書いておきます。