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緘黙当事者の何でも書くブログ

「障害者」とは何か特別なことなのか?

場面緘黙は病気ではないらしい。

あくまでも症状名でしかない。

(病的な状態ではあると思うけど)

 

だから緘黙単独で障害者手帳が取れるのかどうか?は分からない。

(もしかしたら取れてる人もいるのかな?)

 

私はなぜかうつ病と診断書に書かれてました。

実際、SAD(社交不安)だと思うんですが…SAD単独でも手帳取るのって難しいのか?知りませんけど。

 

「病気じゃないから~、障害者じゃないんだから」と人は簡単に言いますが、そういう人って障害者を何か特別な人だと考えているのでしょうか?

 

私はこの世の中に健常者なんて存在は一人もいないはずだと考えています。

常に健康体な人なんて普通に考えていないでしょ?

 

誰だって腰が痛いだとか肩が痛いだの、頭が痛いだの、色々ありますし、視力が悪い人もゴロゴロいますよね?

視力が悪い人も眼鏡やコンタクトがあるから健常者ぶってますけど、そういうのがなかった時代に生まれていたら余裕で障害者だったはずです。

 

日本では重い障害から軽い障害まで、全部ひっくるめて障害者という言葉でしか表すことができないそうなので、「障害者」と言えば何かものすごく重いものを抱えた人という括りに思えてきます。

実際は視力が悪いだけでも十分障害者でしょう。

 

手帳が取れる状態の人だけが障害者ではないと思うんです。

手帳を持っていても一見「障害者」に見えない人もたくさんいるでしょう。

 

今、何もなくても急に事故や病気で「障害者」になってしまうことは誰にだって考えられますよね。

 

そういうことを少しも考えられない人が「この人は障害者だ」と自分とは違う生き物のように考えていたり、「この人は障害者とまでは言えないように見えるから◯◯なんて言ってるけど、結局甘えだろう。努力が足りないのだ」などと考えて、人を知らず知らずのうちに追い詰めてしまうこともあり得ます。

 

はっきり障害者だと認識されやすい人も色々あると思いますが、私のような中途半端な人だと余計普通の人には理解されにくい。

緘黙は特に理解どころか、そもそも認識されてすらない。

 

緘黙は大人になるにつれて治ります」と昔からよく言われてきたようだが、その人たちは治った人(治ったように見えるだけかもしれない)のことしか知らないだけだろう。

治ってない人のことなんて、そもそも知らないのだ。

 

そんな人は社会に出て働くことが難しいだろうから、誰にも認識されないまま一生を終えることもあったのかもしれない。

 

完全になかったことにされてるだけ。

 

考えてみると、とんでもなく恐ろしいことです。

 

誰にも認識されずに一生を終えるなんて…

こんな地獄がこの世に存在してていいわけがないです。

 

私も年齢的にもう緘黙のこととか自分の中ではあまり深く考えたくもなくなってきているのですが、やはり考えずにはいられない。

 

誰かが緘黙のことを発信しなければ、なかったことにされてしまう。

それが一番怖いことかもしれないと最近また考えるようになりました。

 

場面緘黙も何か特別な症状でもなんでもなく、500人に一人くらいの割合でいる誰がなってもおかしくない症状です。

 

普通の人の中の緘黙なんです。

人が怖いわけではない

緘黙や社会不安のある人がネット上などでも度々「人が怖い」と表現しているのを見かけるが、私はそれに違和感がある。

 

「人が怖い」の内訳は?

人が単純に怖いわけではないと思う。

強いて言うなら、人にどう思われているのか?人にどう思われるのか?が怖いということになりそう。

 

普通の病的な不安がない人からしたら、人は別に何も思っていないとか、否定的な感想を持ったりもしない、と思って、「そんなことないよー」などと励ましたりもしてくるわけだ。

確かにそんなことはないのかもしれない。

 

でも、こちらからしたら否定的な感想じゃなくても怖い。

向こうはよかれと思って褒めてくれたりもするわけだけど、それすら抵抗がある。

普通の人間でもあるので、単純に嬉しいというのももちろんあるにはあるんだけど、そんなことより「その部分」に一瞬でも注目されたのか…という事実が嫌だ…などと感じてしまう。

(自分でもマジで面倒くさいと思う)

 

緘黙の人のあるある心理状態に「今まで喋ってなかったから急に喋り出したら変に思われそうで、もう喋らない人と一度思われたら喋れない」というくそ面倒くさいのがある。

私はこの心理が強いほうだと自覚があるが、私だけではなくて他の緘黙の人でもこれに共感してくれる人は結構多い印象なので、これはもしかしたら緘黙特有のものなのでは?などと考えている。

 

緘黙でも中学や高校入学を機に少しずつ喋れるようになったという人も結構見かける。(ネット上で)

でも、私は高校の頃までそうはならなかった。

それはなぜか?

たぶん、単純に最初は緊張や不安が人より強いせいで、声も感情も出しにくい。

それで人に話しかけられても上手く返すどころか一言くらいしか返せず…相手に何だこいつ?みたいなことをおそらく思われてしまって、ああ終わったな…とここでもう全部諦めてしまう。

その環境でもこれを続けるしかないのだ、となぜか自分の中でそれしか選択肢がないみたいになってしまう。(それと同時にもう無理して普通に喋らなくてもいいことに安心してしまうという悪循環までがセット)

 

昔は緘黙のことを自分でも知らなかったので、文字でもそういうことを誰にも伝えることもできないし、そもそも、そういう心理状態に陥ってしまい、緊張や不安が人より強いので普通に振る舞えなくて自分でも辛いのです…などということを誰にも伝えられない。自分の中で留めるしかない。今、文字にしただけでも分かる人には分かると思いますが、何という生き地獄でしょうか?

私が私じゃない人間だったら、とっくの昔にもっと発狂しててもおかしくないですよ。

私だからなんとか平静を装って、そこまでメンタルも崩壊せずに来てますけど。

 

家族や一部の人とは普通に喋れたりもするので、自分でも元は普通やし…と思い、この問題をなるべく顕在意識に上がってこないように無意識にしてる気もします。

親や周りも「普通だよ」などと励ましてくるので、「そうだよねー」などと、ついつい思ってしまいがちですが、社会的な場面(主に学校や職場など)では、どう考えても普通ではないという現実。

 

普通の人見知りの人はその環境に慣れたら喋れるようになりますよね?

緘黙の人の場合、そうならないことも多い(どころか、最初のほうがまだマシだったのにどんどん喋れなくなったりもします)。

 

当然、周りは「何で?」と思って、違和感を覚えますよね。

それもそれで辛い。

普通ではないことが徐々にバレるのが。

 

普通に喋れたりするのなら、最初からそうしてます。できないから辛い。

その能力がそもそも備わっていないなら誰も何も言いませんが、「声が出ないわけではないのだから普通になれる、克服できる、普通に喋ったほうがいいよ~」などと言われる。

頭では理解できる。こちらもバカでもないし、もう子供でもない。普通の大人の脳ミソを持っているので、そう言われるのも当然だし、緘黙などという意味分からん心理を経験したことがない人にすんなり理解されるわけがない。

頭では分かる。でも、できないから辛い。これの繰り返し。

 

自分比では昔は本当に一言も喋れなかったので、返事も挨拶すら全くできなかった頃に比べたらだいぶ成長したなぁ、などと思っているわけですが、大人になってからの私としか会ったことがない人からしたら「少しずつ克服していきましょう」とか言われる。

悪意どころか善意なんだと分かるから余計複雑。

 

まさか挨拶や返事すら出来ず、それどころかトイレに行けなかったり、給食が食べられなかったり…美容院や歯医者にも行けない、バイトなんて応募すら出来なかった、就職なんて絶対に出来ないと思って就職活動すらしなかったし出来なかった、そんな過去があるだなんて想像すら出来ないのかもしれない。

 

これでもかなりマシになったほうなんです…と言っても信じてもらえないかも。

 

私なんかまだマシなほうで、世の中には全緘黙で引きこもりを余儀なくされている人もたくさんいるそうです。

 

外に出て働いてるだけでもかなり頑張ってるほうだと思う。

普通に喋れるなら、もっと色々やりたいこともあったけど、無理そうなことが多くて、色々諦めてる。

 

人は「もったいない」とか言うけど、私はそれもそれで仕方ないことだと冷静に受け止めてるので全然もったいなくはないこともないけど、まあ、別にいいんです。しょうがないんで。

 

今はネットもあるし、数は少ないかもしれないけど、普通に喋れる人もいるにはいるから。

それでも、ある程度普通に喋れたほうがいいに決まってますけど、それが簡単じゃないから難しいという話。

 

 

陰キャ限定テーマパーク

下の妹が友達とそんな話で盛り上がったらしい。

 

陰キャ限定のテーマパークを作りたい」とか、そういう話。

実際、作るのは難しそうなので、ディズニーランドなどを陰キャだけで一日貸し切りにしたらいいのでは?という話になったそう。

 

妹とその友達、面白い話で盛り上がってて、めっちゃ楽しそう。

 

テーマパークって、陰キャからしたら若干敷居高いというか、そういうところありますからね。

 

陽キャが考えた陽キャのためのテンションの高さだから、まずそこがね…精神的にちょっとね。

(こんなこと思うのは私だけ?)

 

行ったら行ったで楽しいんだけど、それと同時にそういうテンション?世界観を純粋に楽しめるだろうか?という意味分からん謎な心配、不安も若干あったりしますからね。

 

私はまだマシなほうで、全緘黙っぽい人とかショーも不安で観れないのでは?と心配になる。

単純に見てるだけならいいけど、ああいうテーマパークのショーって、こっちにも参加を促したりもするわけで…

たとえばUSJのウォーターショーみたいなやつ。

あれ見たとき、これみんなと同じ動作できない人がいた場合、晒し上げられんのかな?とか、想像しただけで怖くなりました。

そもそも、そんな人はそういうの見ないから大丈夫なのかな?

(でも、何も知らずに緘黙の子が見に来てしまうこともあるよね?)

 

陰キャ限定で貸し切りなら、そういう人も配慮してもらって安心して楽しめるんじゃないかな、などと私は妹からその話を聞いてすぐに考えてしまった。

 

陰キャの基準というのも難しいところですが…

 

テーマパークに限らず、普段から普通の人基準で考えられている世界なので、少数派は常に生きづらさがあるわけで…

もっと世界はそういう人のことも考えてくれてもいいんじゃないか?とは常々思ってます。

こちらがそういう意見とかなかなか表に出せないからしょうがないとは思いつつ…

 

テーマパーク貸し切りは一つの案としては本当に面白そう。

大人の修学旅行とか、大人の制服ディズニーとか、誰か企画したら意外に盛り上がるのでは?

 

学生時代にろくな思い出がない人や修学旅行に参加できなかった人など、色々な人がいると思うので、実年齢を一日忘れて制服ディズニーしたりとか、そういうの実は需要ありそう。

 

「神のクイズ」にハマる

妹がアマゾンスティックを買ったので、それから色々観るようになりました。

最近は「神のクイズ」という韓国ドラマにはまってます。

神のクイズ DVD-BOX

神のクイズ DVD-BOX

  • 発売日: 2012/04/04
  • メディア: DVD
 

 

医療モノと事件モノが合体しているようなドラマなので、単純にそれだけでも面白いんですが、珍しい病気を持った犯人や被害者が出てくる事件モノなので、そういう病気があるんだぁとか、そういう意味でもかなり面白いです。

 

死因が分からない人を再解剖して、主人公は刑事さんと一緒に現場にも行って色々調べます。

割と一話完結っぽくって、(全体的なストーリーももちろんあるんですけど)韓国ドラマにしては無駄に長くなくて、日本のドラマに近いので観やすいです。

 

それでも、韓国ドラマなので、色々残酷でグロかったり、ヒステリーに怒ったりする人も当然出てくるので、日本人としてはそういうシーンは苦手。

 

日本人とはそういうところの感覚が違うのか、日本だとそんなにあからさまに感情的に怒ったりする人ってあまりいないのですごく違和感あるし、グロかったり残酷なシーンも日本だったらそこまでないよなぁと思ったり。

(物理的にグロいシーンもだけど、人間的に残酷すぎないか?と思うシーンもある。たとえばあからさまにいじめに遭ってたとか)

 

韓国の人のほうが人の見た目などに対して、日本人より残酷な気がします。

だから整形に抵抗がないお国柄なのかな?とも思うんですけど。

 

見た目に分からない病気だと、それはそれで辛いけど、見た目にはっきりと分かる病気だと、韓国ではかなり辛いのでは?と考えさせられます。

 

個人的にシーズン1だったら2話と3話と8話が特に面白かったし、考えさせられました。

8話はネタバレですけど、感情的になると息ができなくなってしまう病気の女の子のお話で…

見た目的には普通に見えるし、そんな病気は珍しすぎるので治療も保険が効かないし周りの理解も得られにくい。

そんな生活の中で、女の子とそのお母さんが孤立していったのは短い過去シーンでも十分想像できます。

周りに病気の説明もあまりせずに、女の子に感情的にならないようにお母さんは必死に訓練して、いつしか女の子は笑うことも泣くことも怒ることも恐怖を感じることもなくなって…

それでも女の子は大学生になって、彼氏ができて、お母さんは最初交際に反対するけど、それを止めることはできないとお母さんも諦めて、最後はもう何も言わずにデートと分かっていて女の子を送り出します。

結局、女の子はコメディ映画を観て最後に大笑いしてしまい、亡くなってしまった…というお話でした。

 

でも、最後は思いっきり笑えて、彼氏がもうすぐ来るのを楽しみに待っていて、とても幸せな最期だったのでは?と思いました。

 

難病を持っている親子の孤立というのは考えさせられますね。

緘黙も難病ではないですけど、見た目は普通でも感情をあまり出せなかったりもするので、周りに誤解されることも多いですし、孤立しやすい点では同じなので、この親子の気持ちも分かる気はします。

 

感情的になると窒息しそうになるなんて、最初からその病気だったんだとしたら生まれた瞬間から産声あげた瞬間、死にそうになるんじゃ…と思ったり、小さい頃も絶対に泣くわけで、何度も死にかけるわけですよね?

そんな子供を持ってしまったら親御さんは気が休まるときなんて一瞬もないでしょうし、訓練して感情的にならないようにしたシーンは親の気持ちを考えたら泣きそうになります。

 

主人公の医師も天才という設定なんですが、イケメンすぎる俳優ではなく、キャラも普段はふざけた冗談などを言っているお調子者のキャラなので、そういうところも良いです。

ネタバレで主人公も病気を持っている設定なんですが、その原因が子供の頃にとある薬を飲まされたから、という設定なのがめちゃくちゃ個人的に面白かった。

 

色々、考えさせられる部分もあるので、ドラマとしてかなり面白いです。

 

日本でももうちょいグロや残酷なシーンをマイルドにしてリメイクしたらよさそう。

緘黙当事者の職探し事情

…について、知りたい。

(あと、恋愛と結婚事情についても)

 

なんだか意外にこういう情報って、そんなに当事者の人は話してないイメージが強い。

個々では地味に発信しているのかもしれないけど、なかなかまとまってそういうのを目にする機会もないわけで…みんなどうやって仕事に就いたり、結婚できたりしてんの?ってずっと疑問。

 

やはり緘黙は個人差が大きいので、個々の体験談を一つ二つ見たくらいでは、自分には当てはまらないことも多くて、あまり参考にならないことも多い。

そもそも、緘黙があると、何か行動を起こすこと自体がものすごく勇気がいることなので、その時点でハードルが普通の人より高い。

そして、緘黙の人は人と交流することが苦手なことが多いので、情報を人から得ることも難しい。

今はネットもあるから~、などと言っても、やはり身近な人からのクチコミ情報などが得られにくいというのはかなり人生損していそう。

 

緘黙がかなりの重症レベルの人のほうが、手帳を取ってきちんとした支援を受けられるはずだから、そういう人のほうが意外に職に就きやすいのかもしれない。(実際どうだか知らないけど)

 

本当に一言も喋れないとか、症状が極端なほうが世間一般は「障害者」として見てくれるだろうし、きちんと診断されて手帳も持っていて、就労支援も受けている場合なんかだと、理解されやすそうだ。

 

私も一時期、精神科に通って障害者手帳を取っていたときもあったが、映画の割引に使ったことがあるくらいで、手帳を使って障害者枠で仕事を探したことはない。

どうしても自力で無理なときは手帳を使って障害者枠で…というのを当時の私の頭の片隅にあったのかもしれないけど、その当時はバイトでいいからとりあえず何か仕事見つけないと!という気持ちでいっぱいで、そういう支援を受けに行こうとはあまり思えなかった。

というより、私の緘黙程度でそんな支援受けに行ってもきちんと対応されるのか?とか(なんでこの人この程度のことで相談に来てんの?人より少し大人しいだけでしょ?などと思われそう)、単純にそういう場所に一人で行くのが不安、そういうところはもっとガチな人が行くところで私の緘黙や社会不安程度では行く必要ないのでは?(これは子供の頃から周りの大人にきちんとした支援が必要な対象として扱えてもらっていなかったからだと思う)などと、考えてしまい、そういう場所になかなか行くハードルが高い。

 

中途半端に健常者として扱われてきたのだから、変にプライドが高いところもあると思う。

 

緘黙以外にも他に障害がある人などのほうが、そういう支援の場所に行くことに抵抗もないだろうから、そういう人のほうが案外普通に障害者枠で就職できているのかもしれない。

 

逆に早めに緘黙を克服できた人の場合だと、普通の人と同じように高卒や大卒で普通に就職できている人も多いんだろう。

 

中途半端な場合が一番詰みやすいのかもしれない。

(真に詰んでるのは症状が重いのに何の支援も受けられていないまま引きこもっている人だろうけど)

 

どちらにしろ、緘黙の場合、症状が重い軽い関係なく、きちんとした支援や周りの理解を得られる環境かどうか?が一番重要なことなんだろうな。

 

マッチングアプリ

Twitterを眺めていたら、誰かが「イイね」したツイートがたまたま流れてきました。

気になったので、その人のプロフィールを見ると緘黙当事者の男性のようでした。

 

その方はマッチングアプリを使って非モテを抜け出そうと頑張っている方のようで…。

今はこういう人も出てきたのか!と、なんだか感慨深いものがありました。

 

努力してる人は結構好きなので、普通にまあ応援したい。

けど、一人の女性としては少し複雑。

 

セフレがどうとか書かれてたので…真面目なお付き合いだけじゃないのね…って思って。

 

でも、現実、真面目すぎる男性に惹かれる女性はあまりいないことも事実なんですよね。

真面目すぎて何の経験もいい年こいてなかったりすると、今まで何してたんだ?と正直思ってしまうし。(自分のことは棚に上げる)

 

やはり女性と男性では恋愛や結婚に向けての努力の方向性が違ってくるのは仕方ないのかもしれませんね。

セフレとかも女性のほうもそういう目的で探してる人だったら他人がどうこう言う権利ないですし。

 

真剣な出会いを求めてる人に対しては真摯に向き合ってほしいな、って思いますけどね。

 

全力で大真面目にふざけてほしい

先日、某音楽番組を見た。

たぶんコロナの影響で急遽そういう番組が作られたのかな?と思ったけど、その番組内で昔のドラマの映像が少しだけ流れて…その昔のドラマがめちゃくちゃ面白そうだった。

 

具体的に「銀狼怪奇ファイル」というドラマだったんだけど。

放送当時、この私でさえまだ小三くらいで、リアルタイムではたぶん観ていない。

チラッと観たことある記憶はあるけど、たぶんそれは再放送で観たんだと思う。

もちろん内容はほぼうろ覚えで、具体的な内容なんてほとんど記憶にない。

主題歌が近藤マッチの「♪天使のような~悪魔の笑顔」って歌ってるやつで、首なしライダーがどうとかそういう内容で、主人公が二重人格っぽいやつ?ぐらいのぼんやりとした記憶しかなかったけど。

それくらいの記憶は残るくらいに印象深いドラマだったんだと思う。

 

とにかく設定が面白い。

原作も漫画なんだろうけど、調べたら漫画とはほぼ別物くらいの内容だったらしく、上手い具合に改変されていたらしい。

堂本光一演じる主人公は生まれつき二つの脳を持っていて、ピンチになったときにIQ220の超天才の銀狼という人格に変わる!みたいなそんな設定。

その設定だけでも十分面白すぎるw

なんじゃそりゃwって感じですよ。

 

「俺に不可能はない」って決めゼリフかっこよすぎ。

 

超天才という設定で、色々細かいところ突っ込みどころありそうだけど、それも含めて面白そう。

 

今の時代には色々刺激が強すぎるとかで、放送できないんだろうけど、この当時はまだこういうのも普通に放送されていたのだなと思うと色々感慨深い。

 

たぶん今の時代に似たようなドラマがもし放送されていたら、普通に人気出そうだなと思いました。

Twitterでトレンドに入ってたりしたし、需要ありそう。

もちろん首が出て来たりとか、そういうシーンは放送できないから難しいかもしれないけど。

 

あの頃は土曜9時からのドラマって、結構面白いのが多かった。

いつの頃からか「この枠あんまり面白くなくなってきたなぁ」と思い始めて、あれは私が大人になっていったからか?とも思ったけど、そういうわけでもないのか?とふと思った。

 

今は土曜10時に放送時間が移されていて、現在も若者向けドラマ枠というイメージが続いているけれど、なかなか心引かれるものをやっているイメージはない。

 

最近のドラマでこの枠でヒットしたのは「3年A組」なのかな?

始まる前は最近には珍しく学園ドラマだし、ちょっと観てみようかな?と思ったが、実際にはついに一話も観ることなく終わってしまった。

 

実年齢的にももはや学園ドラマなんて観るような歳ではなくなっているし、教師役の菅田将暉でさえだいぶ年下なのだ。

その時点で、観る気は起きない。

 

某音楽番組の中で「3年A組」の一場面も紹介されていたが、私はそのシーンを観てもこのドラマは面白そうだとは全く思えなかったし、一生観なくてもよさそうなドラマっぽいな、としか思えなかった。

 

ただ菅田将暉がなんか一生懸命叫んでるだけのドラマなんだろうなー、という印象しか受けない。

実際、最初から観たら違うのかもしれない。

でも、もうその叫ぶシーンだけで見たくなくなる。

 

ただ叫べば伝わるというものでもないだろう。

なんかね。最近の感動を押し売りしてるような邦画の予告とかとりあえず叫んでたりわざとらしく泣いたりしてて、本当興醒めなんですよ。

ここは感動するところなんですよ~、観てるやつら全員ここで泣け!感動しろ!と言わんばかりのクソ演出と大げさな俳優の演技。

あんなので感動したりする人も中にはいるのかもしれないけど、興醒めする人のほうが多いんじゃないか?

 

本来、感動するかどうか?は観てるほうに委ねられるべきことなはずなのに、ここで感動しろよ!と命令されているかのようなそんな気分にさせられる。

わざわざ、そんな気分にはなりたくないし、感動しようと思って感動なんてしたくない。

感動するような映画じゃないと思って観ていたら意外にもそういう話だったのか!?と後で驚かされるくらいでちょうどいい。

 

最近のドラマや邦画はそういう変にカッコつけた感動押し売り系のものも多いので、そういう予告だけで観たくなくなるのは私的には絶対面白くなさそう。

 

ストーリー設定やキャラ設定で引き付けるものがないのは、とりあえずつまらんし。

 

昔は良かったというわけでもないんだろうけど、まだテレビを皆が観ていた頃のドラマは作り手の人たちも今より熱い気持ちがあったんだろうな。

今はどうせ誰もテレビなんか観てないし、若者の数も減ったので、若者向けドラマなんて作っても視聴率取れそうにもない。だから単純に熱が入ってなくて、とりあえずこういうドラマでも作ればいいかぁ、くらいのノリでやってそうだと邪推してしまう。(中には熱い人ももちろんいるんだろうけど)

 

今の若い俳優さんたちは昔の若い俳優さんに比べたら確実に演技力は上がってるんだろうけど、それでもただ上手いだけの演技を見せられても心が動かないことも多い。

登場人物に感情移入できなかったり、こういうキャラ設定の人物だったらこういう行動は取らないはず、と思ってしまったり、妙にわざとらしいクソ演出のせいで、その世界観に入っていけないこともある。

 

ドラマをドラマとして作ってるって感じかな。

 

ドラマが作り物だということはこっちも分かった上で観ているんだけど、「これはドラマなんです」と一線引かれてる作りのドラマが多い気がする。

なんかリアリティというものがないから素直な気持ちで観れない。

 

銀狼怪奇ファイル」のほうがぶっ飛んだ設定なんだからリアリティも何もないんだけど、逆にそこまで突き抜けたマンガ設定のほうが単純に面白いし、心引かれるものがある。

 

中途半端に現実に寄せてるのに中身がリアリティないと醒めるってやつなのかもしれない。

 

どうせやるなら突き抜けてマンガみたいな設定で、全力で大真面目にふざけてほしい。