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緘黙当事者の何でも書くブログ

「障害者」とは何か特別なことなのか?

場面緘黙は病気ではないらしい。

あくまでも症状名でしかない。

(病的な状態ではあると思うけど)

 

だから緘黙単独で障害者手帳が取れるのかどうか?は分からない。

(もしかしたら取れてる人もいるのかな?)

 

私はなぜかうつ病と診断書に書かれてました。

実際、SAD(社交不安)だと思うんですが…SAD単独でも手帳取るのって難しいのか?知りませんけど。

 

「病気じゃないから~、障害者じゃないんだから」と人は簡単に言いますが、そういう人って障害者を何か特別な人だと考えているのでしょうか?

 

私はこの世の中に健常者なんて存在は一人もいないはずだと考えています。

常に健康体な人なんて普通に考えていないでしょ?

 

誰だって腰が痛いだとか肩が痛いだの、頭が痛いだの、色々ありますし、視力が悪い人もゴロゴロいますよね?

視力が悪い人も眼鏡やコンタクトがあるから健常者ぶってますけど、そういうのがなかった時代に生まれていたら余裕で障害者だったはずです。

 

日本では重い障害から軽い障害まで、全部ひっくるめて障害者という言葉でしか表すことができないそうなので、「障害者」と言えば何かものすごく重いものを抱えた人という括りに思えてきます。

実際は視力が悪いだけでも十分障害者でしょう。

 

手帳が取れる状態の人だけが障害者ではないと思うんです。

手帳を持っていても一見「障害者」に見えない人もたくさんいるでしょう。

 

今、何もなくても急に事故や病気で「障害者」になってしまうことは誰にだって考えられますよね。

 

そういうことを少しも考えられない人が「この人は障害者だ」と自分とは違う生き物のように考えていたり、「この人は障害者とまでは言えないように見えるから◯◯なんて言ってるけど、結局甘えだろう。努力が足りないのだ」などと考えて、人を知らず知らずのうちに追い詰めてしまうこともあり得ます。

 

はっきり障害者だと認識されやすい人も色々あると思いますが、私のような中途半端な人だと余計普通の人には理解されにくい。

緘黙は特に理解どころか、そもそも認識されてすらない。

 

緘黙は大人になるにつれて治ります」と昔からよく言われてきたようだが、その人たちは治った人(治ったように見えるだけかもしれない)のことしか知らないだけだろう。

治ってない人のことなんて、そもそも知らないのだ。

 

そんな人は社会に出て働くことが難しいだろうから、誰にも認識されないまま一生を終えることもあったのかもしれない。

 

完全になかったことにされてるだけ。

 

考えてみると、とんでもなく恐ろしいことです。

 

誰にも認識されずに一生を終えるなんて…

こんな地獄がこの世に存在してていいわけがないです。

 

私も年齢的にもう緘黙のこととか自分の中ではあまり深く考えたくもなくなってきているのですが、やはり考えずにはいられない。

 

誰かが緘黙のことを発信しなければ、なかったことにされてしまう。

それが一番怖いことかもしれないと最近また考えるようになりました。

 

場面緘黙も何か特別な症状でもなんでもなく、500人に一人くらいの割合でいる誰がなってもおかしくない症状です。

 

普通の人の中の緘黙なんです。