米津玄師が天才すぎる件
米津玄師、ちょっと天才すぎませんか?
歴史に名前残りそうな勢いの天才ですよね。
仕事帰りに米津玄師を聴くのがマイブームなのです。
私が好きな音楽っていうのがどういうのなのか?30過ぎてからやっと分かってきた気がします。
アイドルの曲も好きなんですが、それ以外の邦楽なら米津玄師、高橋優、amazarashiあたりが好きなんです。
ミスチルも世代じゃなかったので、あんまりガッツリは知らないんですが、ミスチルもいいですよね。桜井さんも天才です。
今一番好きなのはやっぱり米津玄師かな。
とにかくすべてにおいてセンスが良いですよね!
amazarashiや高橋優も私の中では同じジャンルなんですが(一緒にするな!って方いたらすみません)米津玄師が一番万人受けするのも当然な気がします。
amazarashiは暗すぎて一般受けはしなさそうですし、高橋優も一般的にうけてるのは「明日はきっといい日になる」みたいな前向きで明るい曲が多いはず。
米津玄師も暗いといったらあれですが、そんなに明るい歌詞の曲ってあんまりないですよね?
割と陰キャ寄りの世界観の歌詞が多いかな?と思うんですけど、それでもここまで大衆にうけているのはとにかくセンスがいいからでしょうね。
絵も描けるし、作詞作曲できる、歌うまい、ダンスもできる、背も高い、スタイルいい、神様本気出しましたね!というくらいの天才っぷり。
それでも順風満帆な人生を米津さんは送ってきたわけでもないのでしょう。
むしろそういう人間でもない限り、ああいう作品は生み出せないはず。
やはり芸能人でも芸術家の人でも何かを表現する人というのは、何か抱えている人のほうがいいものを生み出せる気がします。
そういうのの反動というのもあるのかもしれないし……まあ、私もどちらかといえば何か抱えてる側の人間なのでそう思いたいだけかもしれませんが。
印税でごはん食べたい
いい年こいてめちゃくちゃ恥ずかしいこと書いていいですか?
てか、もう書いてるけど(^o^)
いつか印税でごはん食べたいって、心のどこかで常々思ってます。
昔というか、子供のころからそういう野望だけは密かに持ってるんです。
ただ持ってるだけなんですけど。
中学、高校にかけては小説らしきものを密かに書いてみたりとか……
(当時はワープロで書いてましたね。小6のときに親にワープロを買ってもらって色々遊んでました)
20歳くらいの頃は「小説家になろう」に登録してたこともありましたね。
友達いないし、休みの日することもないので、そういうことで暇つぶししてたんですね。
学校にいるときも人と会話もできないし、もちろん友達いないし(それが当たり前の日常であり人生なのですw)ひたすら妄想の世界に引きこもるしかなかったです。
こういう人物がいたとして、こういう設定にしたらどうなるんだろう?とかひたすら考えたりするのが私の楽しみであり、完全に趣味です。
お金もかからないし、道具もあまりいらないじゃないですか。だからいいんですよ。この趣味。
文章力とかは大したことないですし、ぶっちゃけそんなに本も読むほうではないので、現実厳しいやろうけど、いつかこういうのでごはん食べれたらいいな、くらいは常々思ってます。
このくらいの思いしかないので、まずその時点で無理だろ、と思いますけどね💦
趣味なら趣味で別に自由なので、当分は趣味で密かにやっていきたい!
「全然普通だよ~」という謎の励まし
たまにこういうのあるけど何なんでしょうね?
「ただ人見知りで大人しいだけじゃないの?私も人見知りで喋るの苦手だよ(^o^)」
とか、人生でたまにこういう反応されたり、そういう反応をいろんなところで目にしたりします。
こういうことを言う人は相手を励ましているつもりなんでしょうか。
なんかこういうのちょっと違う……と違和感があります。
「全然普通だよ~」みたいな。
何を持って普通と言っているのか分からない。普通の基準が分からないし。
「そういう人には全然見えないよー」とかも。
はあ?見えなくてもそういう人なんだよ!としか思えないし。
本当普通ってなんなんだろ。
当事者同士でもこの謎の励まし合いをたまにしたりしますからね。
「全然普通だよ~」「○○ちゃんだって普通だよ」みたいな。
言いながらなんなんだろ、って思ってしまいます。
「私も人見知りで喋るのが苦手だよ」というような反応も一般の人はしがちだと思う。
この前の緘黙の番組でもコメンテーターの人が似たようなこと言ってなかったっけ?
一見、共感的なコメントなんだけど、こっちとしてはそれと一緒にしてほしくない、としか思えない。
人間は自分の経験則でしか物を考えられないので、つい「私も~」となってしまうのかもしれないですね。
悪気はないどころかよかれと思っての発言なんだろうけど、そういう言葉が欲しいんじゃないし、そういうレベルの問題じゃないんだよ……としかこっちは思えないのです。
すみません💧(←誰に対して?)
緘黙や社会不安(SAD)があると、社会的に抹殺されかねないので……
もう辛いとか、そういうレベルの辛さじゃないわけですよ。
こっちも日常だし、小さい頃からこんなだと慣れきっているので今さらどうこうの問題でもないんですが……
社会的に抹殺されかねない状態であることには一生変わりないのです。
人生の難易度が普通の人とは違うのは昔からひしひしと感じてます。
それなのに「喋るのが苦手なら無理に喋らないでもできる仕事をすれば?」とか、こういうのも本当見当違いの反応だと思いますね。
「無理に社会に出なくても生活保護で暮らせばいい」とか簡単に書いてる人もいたけど、そんなの本人が望んでるわけないだろ、と突っ込みたくなりました。
こういうコメントを書く人は緘黙の人を完全に障害者で自分とは別次元の人間としか思ってないんだろうな。
こういう人より「あなたは全然普通だよ~」と言ってくれる人のほうが遥かにマシなのかもしれない。
だけどそういうこと言う人でも、どこまで緘黙やSADが深刻な症状で人の一生に影響を与えるか想像できているか?は謎でしかない。
平成最後の夏。私はマジで何もしてないし、何もない夏だった。
5才下の妹は最近ついに結婚したんですけど、私はマジで何もしない、何もない夏でした。
今年の夏。暑すぎたもん(←言い訳?)
夏が苦手なんですけど、年々暑さが増してるのは気のせいじゃないですよね?
今年の夏は特に暑かったかもしれないけど、もうずっと夏はこんな感じの暑さなんだろうな、と思うと嫌ですね。
その夏も終わり、やっと秋きたー、ってなるけど、秋も秋で季節の変わり目ってストレスなんですよね。
着るものも何を着るのが正解か?考えるだけで頭使わないといけない。
切り替えって昔から少し苦手で、いつから長袖にするか?とか考えるの地味にストレスです。
セロトニンも絶対少し減ってる気がするし……
日照時間が減るからかな?
このまま何もなく32になりそう。
頑張れば喋れるのでは?という誤解、偏見
Twitterのフォロワーさんが仲良くしていた人から貰ったというとある長文メッセージを載せられていて、それを見て思ったことをここに密かにこっそり書き残したいと思います。
私ももう10年ちょいくらい?緘黙当事者を全面的に自称してネットしてるので、過去にそういうメッセージ貰ったりとかもあったような気がしますね。
詳しいことは忘れたけどw
他の当事者の人もそういう勘違い上から目線アドバイスみたいなのをされたことがある人って、実は意外に結構いるのかもしれない。
緘黙という症状は本当に喋れないわけではないから、ちょっと勇気出して頑張ってみたら喋れるようになるのでは?と一般の人が考えたとしてもおかしくはないです。
私、自分が当事者だけど、自分でも少しはそういうこと思いますからね。
だけど、現実そんな単純にはいかないところが難しいな、と。
メンタルの問題って、そんな簡単に解決してたら誰もそんな長年悩んだりしませんよ💦
そのメッセージには人と比べて努力してないみたいなこと書かれてたけど、そんなこと誰にも言う権利ないでしょ?
努力したから克服できるとは限らないし、そもそも普通の人は何の努力もしてないのに最初から緘黙ですらないんだから。
緘黙の人が普通に近付くのは普通の人が考えてるより、大変だと思う。
まあ、私はあんまり努力してないほうなので、そういう人から見たら未だに現状に甘んじてるやつにしか見えないのかもしれないなー、と思いつつ。
そんな長文メッセージをわざわざ書いてよこすような人間こそ、よっぽど何かやばいものを抱えてる可能性が高いですね。
まず、普通の人はそんなエラソーに上から目線でそんな長文メッセージを書いたりしないです。
どう考えてもおこがましいでしょ。
本当何様なんだよ……、って書いたとしても読み返したとき絶対冷静なるよね?
ならないで送ったんだとしたら、そうとうやばい人です。
私も家族にやばい人が一人いるので、こういう人には敏感な自信はある。
本当なんでこういう人ってこんなエラソーなんだろう。そういう病気?障害?なんだろうけど。
こういう人とはまともに関わらないほうが身のためですね。
話ずれまくりですけど、こういうやばい人がごく稀に直接的にこういうこと言ってきて、努力してないから克服できないのか?とつい思わされそうにもなりますが……
絶対そんなことはないと思います。
そんなことはなくても、一般の人はみんな直接口に出さないだけで「頑張れば喋れるんじゃないの?」と思っていそうですよね。
結局、緘黙が治らないというのは緘黙の状態に甘えてるだけではないのか?
そういうの実はみんな結構思ってそう💦
それでも私ははっきり思う。
緘黙は絶対甘えじゃない!
だって緘黙じゃないほうが絶対生きやすいよ。
本当に甘えならとっくの昔に緘黙なんて簡単に治るんなら、さっさと治してる!
もしこれが身体の病気なら、いつまでもガンであることに甘えて云々言わないでしょ?絶対。
いつもこういうの見て思うんだけど、身体の病気や障害と比べたら絶対言わないようなこと言ってる時点でもうおかしいんだよね。
本当笑えますね(^o^)
「無表情きもい」という感覚
先日、NHKの番組「バリバラ」で場面緘黙の当事者の方が大阪へ一人旅に挑戦する!という内容が放送されました。
私は録画したのをその日のうちに観たのですが……
正直、自分も当事者だからかもしれませんが、所々直視するのが辛いなぁと思うところもありましたね。
客観的に緘黙の状態をテレビを通して観られるだなんて、一昔前には全く考えられなかったことを考えると本当にものすごいことなんですが……
一当事者としては色々複雑な気持ちになってしまったりもします。
番組を観ていてまず思ったのは緘黙の人を見たことがない人がこれを見てまず何て思うのだろう?ということです。
緘黙が主な他の障害や病気(などと一まとめにできるものではないですが)と大きく違うと思うところの一つが元々場面緘黙の人は安心できる場所や人の前では※ごく普通の人であるということなんです。
(もちろん全緘黙の方や他の病気や障害持ちの方もいらっしゃるはずなので皆がそうとも言えませんが。 ※注意!どんな障害や病気を持っていたとしても皆普通の人だと個人的には思いますがここで言いたいのはそういうことではなく……)
それなのに場面によって、一言も喋れなくなってしまったり、それどころか表情を出すこともできなくなってしまったり。
そういう不思議な症状であるため、初見の人は絶対いまいちピンとこないのではないかと……ついついそう思ってしまいます。
今回出演されていた当事者の加藤さんは映像を見る限り、緘黙症状は比較的重いほうだと思われます。
アプリの音声でコミュニケーションを取っていらっしゃいますからね。
少しでも声を出せる場合はまず、簡単な会話くらいだったらそこまでする必要性がないですから。
普通の人から見たら、本当は声を出せるのに(出せるはずなのに、出す能力はあるはずなのに)何でわざわざそんな面倒なことするの??と思われてしまっても全く不思議ではない。
いや正直なところ、私は当事者でもあるくせにそういう普通の人の感覚も同時に持ち合わせているところもあるので、少し不思議な光景に見えてしまうのです。
私には元々、声を出せないなら何か別の方法(筆談など)でも人とコミュニケーションを取りたい!という欲求が少なかったので、余計に不思議な感覚になってしまうのかもしれません。
(初めから人とコミュニケーションを取りたくないから緘黙になったわけではないですよ。ここは誤解してほしくないところ)
あくまでも普通の人から見た場合、ものすごく不思議に見えるのでは?というのがまず一つ思いました。
そして、やはり表情ですよね。
単なる無表情とも違う、独特のあの感じ……
昔の学校で過ごしていた頃の私もまさにあれに近い顔をしていたはずなんですよ。
明らかに過剰な緊張からくるガチガチな感じというか、見てるほうも正直不安になってしまうというところが本音だと思います。
案の定、Twitterでバリバラを観た方の中で「無表情が気持ち悪い」とつぶやいた人もいたようで……
他の緘黙当事者の方はそれに反論されてる方もいました。
その「無表情気持ち悪い」と書いた人の書き方も若干バカにしてるような感じでもあったのでそれは批判されても仕方ないです。
でも、「無表情が気持ち悪い」と思ってしまう感覚までは私は否定はできないし、そこまで否定してしまっていいのだろうか?とさえ思いました。
たぶんこういう感覚って差別的な感情の前に単純に人が生きていく上で備わっている本能みたいなものでもあると思うんですよ。
普通の大人の人は思ったとしても表には出さないだけであって、正直反射的に「え?何この人?」ってなるのが素直な人間らしい反応でもあると思うんです。
その部分まで否定することはできなくないですか?
少なくとも私はできないです。
だって自分だってそんなに立派な人間ではないですから。
差別や偏見の心は誰にだってあると思います。表に出すか出さないかの違いでしかない。
明らかに異質な人がいたら警戒しても当然でしょう。
じゃないと人類なんて簡単にとっくの昔に滅亡してるはず。
話がだいぶ逸れてきましたね💦
何が言いたいのか?自分でもよく分からないままにここまで書いてきましたが、とにかく場面緘黙という症状は当事者でも説明するのが難しく、一般の人が理解するのはもっと難しいはずのよく分からない謎の症状なんだよなぁ~ということですね。
ブログタイトルはとりあえず仮
急にまたブログやりたいかも?と思い立ち、何気なく登録。
ブログタイトルはすぐには思い付かないので仮です。
昔は緘黙ブログやってました。
もはやそういうジャンルのブログが当然あるかのように書いてしまいましたが、世間一般的には緘黙?はあ?何それ?だと思います。
今でこそテレビや新聞で取り上げられることも徐々に増えてきているので、昔よりは「あー、なんとなく知ってるよ」って方も増えてはきていると思いますが…
もうね。一刻も早く常識になってほしい。
私には年齢一桁の頃から場面緘黙という症状がありまして、それについての体験談などを書き綴っていたブログが過去あったのです。
(消してないからブログ自体は今もありますけどね)
緘黙症状についての説明などはいちいちしない主義なので、ここではしません。
そんなの本気で気になってくれる方は黙ってさっさとググると思うので。
緘黙というのはこうこうこうで~などと、なぜ一当事者がいちいち説明しなければならないのか?そんなのそっちで調べろよ、としか思わないような人間。それが私なんです。
というか、もはや常識ですよね。
今どき知らない人なんて実はもういないよね(^o^;)←
緘黙については私の人生や日常を語る上で外せない要素ではありますが、私という人間はそれだけで構成されているわけでもないので、このブログではそれ中心に語りたいとはもはやあまり思ってはいないです。
思ってはいなくても、やはり私の人生や日々の生活を語る上で外せない要素である緘黙。
こいつからは逃げられないんだよなぁ、とうんざりしながらも毎日なんとか楽しみも見つけながら田舎の片隅でひっそり息してます。
とりあえず、またブログをひっそり始めてみたけど、続くかどうか分かりません。