何でも書くブログ(仮)

緘黙当事者の何でも書くブログ

「無表情きもい」という感覚

先日、NHKの番組「バリバラ」で場面緘黙の当事者の方が大阪へ一人旅に挑戦する!という内容が放送されました。

 

私は録画したのをその日のうちに観たのですが……

正直、自分も当事者だからかもしれませんが、所々直視するのが辛いなぁと思うところもありましたね。

客観的に緘黙の状態をテレビを通して観られるだなんて、一昔前には全く考えられなかったことを考えると本当にものすごいことなんですが……

一当事者としては色々複雑な気持ちになってしまったりもします。

 

番組を観ていてまず思ったのは緘黙の人を見たことがない人がこれを見てまず何て思うのだろう?ということです。

緘黙が主な他の障害や病気(などと一まとめにできるものではないですが)と大きく違うと思うところの一つが元々場面緘黙の人は安心できる場所や人の前では※ごく普通の人であるということなんです。

(もちろん全緘黙の方や他の病気や障害持ちの方もいらっしゃるはずなので皆がそうとも言えませんが。 ※注意!どんな障害や病気を持っていたとしても皆普通の人だと個人的には思いますがここで言いたいのはそういうことではなく……)

それなのに場面によって、一言も喋れなくなってしまったり、それどころか表情を出すこともできなくなってしまったり。

そういう不思議な症状であるため、初見の人は絶対いまいちピンとこないのではないかと……ついついそう思ってしまいます。

 

今回出演されていた当事者の加藤さんは映像を見る限り、緘黙症状は比較的重いほうだと思われます。

アプリの音声でコミュニケーションを取っていらっしゃいますからね。

少しでも声を出せる場合はまず、簡単な会話くらいだったらそこまでする必要性がないですから。

普通の人から見たら、本当は声を出せるのに(出せるはずなのに、出す能力はあるはずなのに)何でわざわざそんな面倒なことするの??と思われてしまっても全く不思議ではない。

いや正直なところ、私は当事者でもあるくせにそういう普通の人の感覚も同時に持ち合わせているところもあるので、少し不思議な光景に見えてしまうのです。

 

私には元々、声を出せないなら何か別の方法(筆談など)でも人とコミュニケーションを取りたい!という欲求が少なかったので、余計に不思議な感覚になってしまうのかもしれません。

(初めから人とコミュニケーションを取りたくないから緘黙になったわけではないですよ。ここは誤解してほしくないところ)

あくまでも普通の人から見た場合、ものすごく不思議に見えるのでは?というのがまず一つ思いました。

 

そして、やはり表情ですよね。

単なる無表情とも違う、独特のあの感じ……

昔の学校で過ごしていた頃の私もまさにあれに近い顔をしていたはずなんですよ。

明らかに過剰な緊張からくるガチガチな感じというか、見てるほうも正直不安になってしまうというところが本音だと思います。

 

案の定、Twitterでバリバラを観た方の中で「無表情が気持ち悪い」とつぶやいた人もいたようで……

他の緘黙当事者の方はそれに反論されてる方もいました。

その「無表情気持ち悪い」と書いた人の書き方も若干バカにしてるような感じでもあったのでそれは批判されても仕方ないです。

でも、「無表情が気持ち悪い」と思ってしまう感覚までは私は否定はできないし、そこまで否定してしまっていいのだろうか?とさえ思いました。

たぶんこういう感覚って差別的な感情の前に単純に人が生きていく上で備わっている本能みたいなものでもあると思うんですよ。

普通の大人の人は思ったとしても表には出さないだけであって、正直反射的に「え?何この人?」ってなるのが素直な人間らしい反応でもあると思うんです。

その部分まで否定することはできなくないですか?

少なくとも私はできないです。

 

だって自分だってそんなに立派な人間ではないですから。

差別や偏見の心は誰にだってあると思います。表に出すか出さないかの違いでしかない。

明らかに異質な人がいたら警戒しても当然でしょう。

じゃないと人類なんて簡単にとっくの昔に滅亡してるはず。

 

話がだいぶ逸れてきましたね💦

 

何が言いたいのか?自分でもよく分からないままにここまで書いてきましたが、とにかく場面緘黙という症状は当事者でも説明するのが難しく、一般の人が理解するのはもっと難しいはずのよく分からない謎の症状なんだよなぁ~ということですね。