自分とは何か?
ドラマ版「二つの祖国」の感想はもう書いたけど、ドラマのストーリー自体についても色々考えたことを書いておくことにする。
このお話は主人公が「自分のアイデンティティを探したけど結局見つけられませんでした」というオチで終わってしまった悲しいお話だった。
歴史的事実も絡んでいる壮大なフィクションだからそんな単純な話でもないんだろうけど、「自分のアイデンティティを探す」とか「自分とは一体何なのか?」というテーマ自体はどの時代の若者(が何歳くらいまでが若者に入るのか知らんけど)にも当てはまる共通の永遠のテーマだと思う。
もしこの時代に日系二世として生まれていたとしたなら自分ならどうするだろうか?と少しでも考えさせられるきっかけになったので、こういうドラマを今の時代に作って放送するというのはそういう意味ではかなり意義があることだと思った。
時代背景や日系二世という境遇は今の時代の日本人にはなかなか想像が難しいことだけど、「自分って何だろう?」というのはたぶんみんなぼんやりと思っていることだと思う。
どんな時代や境遇でも要領よくしたたかに生きていける人間もいるけど、中にはこのドラマの主人公のように割り切れずに葛藤に苦しんでしまう人もいつの時代でもいるんだろうな。
(要領よく生きてる人にも葛藤は当然あるだろうけど)
私常々よく思うんですけど、この世の中そんなに割りきれることってないですよね?
このドラマの中の話なら「日本人なのか? アメリカ人なのか?」とどちらか一方に決めないと生きていけないのかな?とか。
時代が時代だからあれなんだけど、そんなの両方じゃダメなのかよ、って現代人だからつい思ってしまう。
それとどちらか一方が絶対悪い!とかもあんまりなさそう。
戦争も結局どちらも悪いってことですよね?難しいこと何も分からないけど、アメリカは自分たちのしたことを正当化したがってるけど、やってしまったことはめちゃくちゃ非人道的で人類史上最悪のことですからね。
本当人として最悪だよ。結局、日本人のこと人間と思ってないからそんなことできたんだとしか思えない。日系人たちも強制収容しちゃうし…差別しまくりやん。
終戦後に原爆被害の調査に行ったシーンで「日本人はあまりアメリカに憎悪をぶつけてこない」とか言ってたのが印象的だった。
やはりあの原爆被害の直後でも日本人というのはそういう感じだったのかな?と。たぶんアメリカの人にはこういう日本人の心理はあまり理解できないんだろうな。
憎悪をぶつけても仕方がないことには感情的にならないだけであって、憎んでないわけではないと思うんですけど。そういうところがあるから日本人って世界的に舐められてることが多いんだろうな、と考えてしまう。
そういう日本人もそもそもパールハーバー攻撃しちゃってるからアメリカに敵と思われても仕方ないんですよね。
日本人もあの戦争では酷いこといっぱいしたんだと思う。本当戦争というのは悲劇でしかないですよね。
アイデンティティの話に戻すと、私は絶対にこういう人間だ、と言い切れる人なんてそんなにいないはず。
絶対的な悪や正義というのももしかしたらないのでは?
立場が変われば物事の見方も変わってしまう。
アメリカ人からしたらアメリカが正義!原爆落としたのも仕方なかったってことにしときたいんだろうけど、被害にあった側からしたらそんなの知ったことじゃないしふざけんな!だよね。
日系二世の人たちはまさに板挟みで辛すぎたと思う。
どちらか一方の立場で「アメリカが悪い!」「日本が悪い!」と言える人たちは文句を言える分だけまだ救いがある。
どちらか一方を悪者にできない人はどこにも文句を言えないからそりゃストレスたまるよね。
今は何にでも簡単に文句言えばいいと思って一方的に「~が悪い!」とかネットでも言ってたりお店にクレーム入れたりする人いるけど、そういう人に本当考えてほしいと思った。
絶対に自分は常に正しくて相手が絶対に間違っているなどと自信を持って言えるのか?
そもそも何が正しくて間違っているんだろう?
何事も一方に偏りすぎてはいけないと常々思う。
(偏ってたほうが楽なんだろうけどね)